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山香温泉センターの蛭子神の祠

山香温泉センターの塩分濃度の高い湧き水は、古くは「神塩(こうじお)」と称されていたそうです。


現在、温泉センターの前に小さな石の祠が鎮座していますが、祠の屋根の部分に「蛭兒」と彫られていることから、この祠は蛭子(えびす)神を祀ったものであることがわかります。




江戸時代の地誌『山香郷図跡考』(『大分県日出藩資料4』佐藤暁/編 、日出藩史料刊行会 1968年)恒道村・神塩の項には、「蛭兒の石社有、社の下より塩水湧出る、当郷の民家 清めに此塩を汲み用、依て神塩と云」とあり、塩分を多量に含んだ海水のような神塩の湧き水にちなんで、海と関係の深い蛭子神(恵比須様)を祀ったもののようです。


日出藩第三代藩主木下俊長(1649~1716)の依頼により、俊長と親交のあった幕府の儒官 人見竹洞が元禄七年(1694)三月に八幡森の十二の風景を詠じた十二首の漢詩の中にも「神塩石潮」と題する七言絶句一首があり、蛭兒祠が読み込まれています。


以下、試みに書き下し、現代語訳を加えてみます。


<原文>          

 <書き下し>

<現代語訳>

「神塩石潮」

「神塩の石潮」 

「神塩の石潮」

有潮自夷宮下流出 

潮あり、夷宮の下より流れ出づ 

蛭兒祠の下から塩水が流れ出ている 

山下夷宮流一条       

山下の夷宮 流れ一条   

甲尾山の麓の蛭兒の祠からは、一条の潮水が流れていて、

塩池塩井又何要   

塩池 塩井 また何ぞ要せん 

塩池や塩井が必要のないほど(濃い塩水)である。

天樟船上神垂釣        

天樟船上 神 釣を垂れ

恵比須様(蛭兒神=ヒルコ)は天の磐樟船(アメノイワクスフネ)の上から魚を釣っている。

石罅自通西海潮               

石罅 自ら通ず 西海の潮 

塩水が湧き出る石の割れ目は、西の海まで通じているのである。


幕府儒官として多忙な人見竹洞は、実際に現地を訪れてはおらず、俊長から与えられた情報をもとに江戸でこの詩を作っています。ただ、江戸時代に書かれた『山香郷図跡考』及び人見竹洞の「神塩石潮」詩が、神塩を語る際に真っ先にこの蛭兒祠に言及していることを考えると、当時この蛭兒祠はこの塩泉と切っても切り離せない非常に重要なものと考えられていたようです。


現在では、温泉センターの前にひっそりと佇む蛭兒祠に気付く方はあまり多くないようですが、今度温泉センターを訪れた際には、この祠に目を留めていただき往事の有り様に思いを馳せながら手を合わせてみるのもまた一興ではないでしょうか。

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